2009年05月28日
夏季・熱帯用ユーティリティ(ローカルメイド、民生品等)その1
こんにちは。ビッキー池田です。今回は夏用もしくは熱帯用に作られたローカルメイドや民生品と思われるユーティリティシャツを2点紹介します。ちなみに1stタイプのユーティリティシャツに近い形状でコットンポプリン生地製のスペシャルウォーフェアジャケットという服が1962年頃に官給品で存在しましたので、ローカルメイドや民生品と限定させてもらいました。
米軍官給品のOG-107ユーティリティユニフォームは基本的にコットンサテン生地製だったので、熱帯では暑く不快でした。そのため、半袖に改造したり、ユーティリティシャツの下にTシャツを着なかったり、袖をまくったりと様々な方法がとられました。また、半袖ではなく7分袖くらいの長さへの改造もあったようです。もちろんこれらの方法はユーティリティ以外の服でも行われました。
それでもユーティリティは服の生地自体に問題があり暑かったようです。ジャングルファティーグ(Tropical Combat Uniform)採用までは熱帯向きの生地でできた戦闘服があまりなく、上記のスペシャルウォーフェアジャケットやWWII末に採用されたライトウェイトジャケットなどが一部で使用されましたが、一般部隊にはあまり支給されなかったようです。しかもジャングルファティーグは採用されてすぐに必要とする部隊に行き渡ったわけではなく、しばらくはTCUが不足していて仕方なくユーティリティを着ることもありました。そこで、PXなどでは民生品のコットンポプリン生地のユーティリティが売られるようになりました。南ベトナムや沖縄などで作られたローカルメイドもあります。
さて、これが自分のコレクションのコットンポプリン製ユーティリティシャツです。
官給品の2ndタイプのOG-107ユーティリティシャツとほぼ同型ですが、背中側上部の裁断が若干違います。ボタンは2ndタイプのボタンと似ていますが、少し厚みが違うようです。
2ndタイプ(下)との比較です。ローカルメイドや民生品のユーティリティシャツにはこのように2ndタイプとほぼ同型で背中側上部の裁断のみ違うタイプが多いです。
徽章はローカルメイド(もしくは将兵の自作)の第20工兵旅団SSIと5等特技兵(特技兵5)襟用階級章が付いています。生地はどちらもベルベットです。4等特技兵のものと思われる階級章跡が袖にあるので、5等特技兵に昇進する前までは袖用階級章を使っていたのだと思われます。また、ARMY章は官給品のコットン製テープにスタンプをしたもののようです。なお、第20工兵旅団は1967年から1971年までベトナムで活動していました。
さて、上記のようにジャングルファティーグ採用以前にはあまり熱帯地域や夏季向きの戦闘服がなかったわけですが、それはOG-107ユーティリティ採用前からのことです。沖縄は亜熱帯ですし、アメリカでも南部はかなり暑い気候でしたので、OG-107ユーティリティ採用より前の時期から熱帯用や夏季用の戦闘服の需要はありました。OG-107ユーティリティ採用前の時期ですと、WWII末に採用されたコットンポプリン製のライトウェイトジャングルジャケットがありましたが、上記のように使用は限定的だったようです。よって、HBT生地のM47ユーティリティやM43ユーティリティが全ての地域で使われていたことになります。これらのHBT製ユーティリティはOG-107ユーティリティと同等かそれ以上に暑かったはずです。というわけで、当時はM47に近いタイプの夏季・熱帯用ユーティリティがPXなどで販売されていました。
これが自分のコレクションの1940年代から1950年代製と思われるM47とほぼ同型のユーティリティシャツです。M47の形状はOG-107の1stタイプと同じですので、OG-107の1stタイプを参考に作られたものの可能性もあります。生地は薄手のコットンサテン生地のようですが、色合いがOG-107カラーやM47のOD-7カラーよりもだいぶ茶色っぽいです。また、ボタンはM43ユーティリティやM47のものに似ていますが、少し大きいのでM43フィールドジャケット用と同タイプかと思います。
ほとんど判読できませんが、首のところにあるスタンプとストラップです。M47やOG-107の1stタイプにはこのようなストラップはありません。
襟が違う色の生地で二重にされています。M47やOG-107の1stタイプも襟の生地は二重になっていますが、使われているのは他の部分と同じ色の生地です。
以下の記事も参考にどうぞ。
戦後米軍ユーティリティシャツの基本バリエーション
米軍OG-107ユーティリティシャツ2ndタイプ
米軍徽章付きユーティリティシャツ3rdタイプ&4thタイプ
米軍OG-507ユーティリティシャツ改造品
米軍ユーティリティシャツ(ローカルメイド、民生品等)その1
夏季・熱帯用ユーティリティ(ローカルメイド、民生品等)その2
米軍テストサンプルユーティリティシャツ
米軍官給品のOG-107ユーティリティユニフォームは基本的にコットンサテン生地製だったので、熱帯では暑く不快でした。そのため、半袖に改造したり、ユーティリティシャツの下にTシャツを着なかったり、袖をまくったりと様々な方法がとられました。また、半袖ではなく7分袖くらいの長さへの改造もあったようです。もちろんこれらの方法はユーティリティ以外の服でも行われました。
それでもユーティリティは服の生地自体に問題があり暑かったようです。ジャングルファティーグ(Tropical Combat Uniform)採用までは熱帯向きの生地でできた戦闘服があまりなく、上記のスペシャルウォーフェアジャケットやWWII末に採用されたライトウェイトジャケットなどが一部で使用されましたが、一般部隊にはあまり支給されなかったようです。しかもジャングルファティーグは採用されてすぐに必要とする部隊に行き渡ったわけではなく、しばらくはTCUが不足していて仕方なくユーティリティを着ることもありました。そこで、PXなどでは民生品のコットンポプリン生地のユーティリティが売られるようになりました。南ベトナムや沖縄などで作られたローカルメイドもあります。
さて、これが自分のコレクションのコットンポプリン製ユーティリティシャツです。
官給品の2ndタイプのOG-107ユーティリティシャツとほぼ同型ですが、背中側上部の裁断が若干違います。ボタンは2ndタイプのボタンと似ていますが、少し厚みが違うようです。
2ndタイプ(下)との比較です。ローカルメイドや民生品のユーティリティシャツにはこのように2ndタイプとほぼ同型で背中側上部の裁断のみ違うタイプが多いです。
徽章はローカルメイド(もしくは将兵の自作)の第20工兵旅団SSIと5等特技兵(特技兵5)襟用階級章が付いています。生地はどちらもベルベットです。4等特技兵のものと思われる階級章跡が袖にあるので、5等特技兵に昇進する前までは袖用階級章を使っていたのだと思われます。また、ARMY章は官給品のコットン製テープにスタンプをしたもののようです。なお、第20工兵旅団は1967年から1971年までベトナムで活動していました。
さて、上記のようにジャングルファティーグ採用以前にはあまり熱帯地域や夏季向きの戦闘服がなかったわけですが、それはOG-107ユーティリティ採用前からのことです。沖縄は亜熱帯ですし、アメリカでも南部はかなり暑い気候でしたので、OG-107ユーティリティ採用より前の時期から熱帯用や夏季用の戦闘服の需要はありました。OG-107ユーティリティ採用前の時期ですと、WWII末に採用されたコットンポプリン製のライトウェイトジャングルジャケットがありましたが、上記のように使用は限定的だったようです。よって、HBT生地のM47ユーティリティやM43ユーティリティが全ての地域で使われていたことになります。これらのHBT製ユーティリティはOG-107ユーティリティと同等かそれ以上に暑かったはずです。というわけで、当時はM47に近いタイプの夏季・熱帯用ユーティリティがPXなどで販売されていました。
これが自分のコレクションの1940年代から1950年代製と思われるM47とほぼ同型のユーティリティシャツです。M47の形状はOG-107の1stタイプと同じですので、OG-107の1stタイプを参考に作られたものの可能性もあります。生地は薄手のコットンサテン生地のようですが、色合いがOG-107カラーやM47のOD-7カラーよりもだいぶ茶色っぽいです。また、ボタンはM43ユーティリティやM47のものに似ていますが、少し大きいのでM43フィールドジャケット用と同タイプかと思います。
ほとんど判読できませんが、首のところにあるスタンプとストラップです。M47やOG-107の1stタイプにはこのようなストラップはありません。
襟が違う色の生地で二重にされています。M47やOG-107の1stタイプも襟の生地は二重になっていますが、使われているのは他の部分と同じ色の生地です。
以下の記事も参考にどうぞ。
戦後米軍ユーティリティシャツの基本バリエーション
米軍OG-107ユーティリティシャツ2ndタイプ
米軍徽章付きユーティリティシャツ3rdタイプ&4thタイプ
米軍OG-507ユーティリティシャツ改造品
米軍ユーティリティシャツ(ローカルメイド、民生品等)その1
夏季・熱帯用ユーティリティ(ローカルメイド、民生品等)その2
米軍テストサンプルユーティリティシャツ
2009年05月10日
米軍サイドジッパー付きブーツ(官給品改造品)
こんばんは。ビッキー池田です。今回は米軍官給品のブーツの改造品と思われるサイドジッパー付きのブーツを2足紹介します。
これまでに米軍官給品でサイドジッパー式のブーツは存在しなかったと思われます。ブーツが無ければ行軍できません。なので、壊れる可能性のあるサイドジッパー式のブーツを採用したとは考えにくいのです。火災の際に火傷を負う可能性もあり、CVC(Combat Vehicle Crew)用やフライト用のブーツとしても採用されたとはも思えません。よって、今回紹介する2つのブーツには米軍官給品を示す刻印があるようですが、官給品を個人で改造したものと判断します。もしかすると、試作品かもしれません。
交換後まただいぶ磨り減ったようですが、ソールは交換されています。1950年代から1960年代中期まで生産されたツウキャップ(つま先の補強)付きの黒革製コンバットブーツを改造したもののようです。
余談ですが、黒革製でも茶革製でもツウキャップ付きのブーツはよくジャンプブーツと間違えられますが、それは違います。ブーツの外側側面の縫い目、先端の形状、ツウキャップの縫い目などがジャンプブーツとその他のツウキャップ付きブーツでは違います。文章だけでは分かりにくいと思うので、いずれ写真を挙げて紹介したいと思いますが、茶革製ジャンプブーツをまだ入手していないのでいつの更新になるか分かりません。
改造なしの同時期の黒革製コンバットブーツとの刻印の比較です。見にくいと思いますが、改造なしの方は「10N GJ 7-65」、サイドジッパー付きは「10R ?? 7-62」と表記されています。最初の10Nと10Rはサイズ表記、最後の7-65と7-62は65年製と62年製を示しているようですが、他は調査中です。刻印から本来は官給品であることが分かります。
TALONのブラスジッパーが使われています。片方は上部がそろっているのに、片方は上部が揃っていないという縫い方の適当さが試作品ではなく改造品であるという感じを出しています。
2足目は1960年代中期から1970年代中期まで生産されたタイプの黒革製コンバットブーツを改造したもののようです。
1960年代中期から黒革製コンバットブーツのソールはシェブロン型ソールに代わりました。これはそのシェブロン型ソールのブーツの改造品のようです。また、ジッパーは1足目のブーツのものと同型と思われるTALONのブラスジッパーが使われています。
同時期の黒革製コンバットブーツ(厳密にはこちらは上半分と下半分のアイレットの間に隙間のある1970年代中期から1980年代中期まで生産されていたタイプですが)との刻印の比較です。見にくいと思いますが、改造なしの方は「7 1/2W PJ 5-76」、サイドジッパー付きは「11N GJ 11-73」と表記されています。
ジッパーが同型と思われること、ジッパー周辺部分の縫い方が似ていることから考えると、同一業者(もしくは同一人物)による改造品の可能性が考えられます。官給品改造品ですが、米軍将兵の使用品ではなく、放出後に民間で改造されたものである可能性も否定できません。なお、自分はこの2足のブーツをどちらとも同じ方から購入しました。
これまでに米軍官給品でサイドジッパー式のブーツは存在しなかったと思われます。ブーツが無ければ行軍できません。なので、壊れる可能性のあるサイドジッパー式のブーツを採用したとは考えにくいのです。火災の際に火傷を負う可能性もあり、CVC(Combat Vehicle Crew)用やフライト用のブーツとしても採用されたとはも思えません。よって、今回紹介する2つのブーツには米軍官給品を示す刻印があるようですが、官給品を個人で改造したものと判断します。もしかすると、試作品かもしれません。
交換後まただいぶ磨り減ったようですが、ソールは交換されています。1950年代から1960年代中期まで生産されたツウキャップ(つま先の補強)付きの黒革製コンバットブーツを改造したもののようです。
余談ですが、黒革製でも茶革製でもツウキャップ付きのブーツはよくジャンプブーツと間違えられますが、それは違います。ブーツの外側側面の縫い目、先端の形状、ツウキャップの縫い目などがジャンプブーツとその他のツウキャップ付きブーツでは違います。文章だけでは分かりにくいと思うので、いずれ写真を挙げて紹介したいと思いますが、茶革製ジャンプブーツをまだ入手していないのでいつの更新になるか分かりません。
改造なしの同時期の黒革製コンバットブーツとの刻印の比較です。見にくいと思いますが、改造なしの方は「10N GJ 7-65」、サイドジッパー付きは「10R ?? 7-62」と表記されています。最初の10Nと10Rはサイズ表記、最後の7-65と7-62は65年製と62年製を示しているようですが、他は調査中です。刻印から本来は官給品であることが分かります。
TALONのブラスジッパーが使われています。片方は上部がそろっているのに、片方は上部が揃っていないという縫い方の適当さが試作品ではなく改造品であるという感じを出しています。
2足目は1960年代中期から1970年代中期まで生産されたタイプの黒革製コンバットブーツを改造したもののようです。
1960年代中期から黒革製コンバットブーツのソールはシェブロン型ソールに代わりました。これはそのシェブロン型ソールのブーツの改造品のようです。また、ジッパーは1足目のブーツのものと同型と思われるTALONのブラスジッパーが使われています。
同時期の黒革製コンバットブーツ(厳密にはこちらは上半分と下半分のアイレットの間に隙間のある1970年代中期から1980年代中期まで生産されていたタイプですが)との刻印の比較です。見にくいと思いますが、改造なしの方は「7 1/2W PJ 5-76」、サイドジッパー付きは「11N GJ 11-73」と表記されています。
ジッパーが同型と思われること、ジッパー周辺部分の縫い方が似ていることから考えると、同一業者(もしくは同一人物)による改造品の可能性が考えられます。官給品改造品ですが、米軍将兵の使用品ではなく、放出後に民間で改造されたものである可能性も否定できません。なお、自分はこの2足のブーツをどちらとも同じ方から購入しました。