2009年04月26日
米軍手描き迷彩のジャングルファティーグ その1
こんにちは。ビッキー池田です。今回はTCU(トロピカルコンバットユニフォーム、いわゆるジャングルファティーグ)のジャケットに手描きで迷彩を施したものを紹介します。なお、これからは10日に1回くらいはなるべく更新していく予定です。


ベトナム戦争時、このように特殊部隊では(2枚目の画像はもちろん当時の写真ではありませんが)ジャングルファティーグにスプレーやマジックで迷彩を描くことがありました。迷彩衣類の不足とダックハンターパターンやタイガーストライプパターンの迷彩効果の低さが原因と考えられます。

この第101空挺師団の写真ではTCUはそのままですが、右から2番目の三等軍曹と思われる人がOG-107ユーティリティキャップ(もしくはM1951フィールドキャップか、それらに似たローカルメイド品)に迷彩を描いています。襟用階級章を使用しているので68年以降の写真のはずです。なお、ジャングルファティーグやキャップ帽以外には1stタイプのユーティリティシャツにマジックで迷彩を描いたものを確認したことがあります。
さて、今回紹介するものですが、4thタイプのジャングルファティーグジャケットにマジック2色で迷彩を描いたものです。もちろん背中側にも迷彩が施されています。また、コントラクトNoはDSA100-68-C-2484の1968年ロットで、生産メーカーはALLEN OVERALL. CO., INC.です。


第1騎兵師団のヘリクルーのようです。第1騎兵師団SSIとベーシックの降下章とベーシックのエアクルー章とU.S. ARMYテープが縫い付けられています。SSIははじめ、パッチ類は全て全てローカルメイドです。なお、このTCUジャケットは袖の付け根と背中側上部の裁断がシングルで、肩部分と脇下と袖の裁断はダブルになっています。
以下の記事も参考にどうぞ。
米軍NAG(海軍軍事顧問群)ジャングルファティーグジャケット
米軍手描き迷彩のジャングルファティーグ その2


ベトナム戦争時、このように特殊部隊では(2枚目の画像はもちろん当時の写真ではありませんが)ジャングルファティーグにスプレーやマジックで迷彩を描くことがありました。迷彩衣類の不足とダックハンターパターンやタイガーストライプパターンの迷彩効果の低さが原因と考えられます。

この第101空挺師団の写真ではTCUはそのままですが、右から2番目の三等軍曹と思われる人がOG-107ユーティリティキャップ(もしくはM1951フィールドキャップか、それらに似たローカルメイド品)に迷彩を描いています。襟用階級章を使用しているので68年以降の写真のはずです。なお、ジャングルファティーグやキャップ帽以外には1stタイプのユーティリティシャツにマジックで迷彩を描いたものを確認したことがあります。
さて、今回紹介するものですが、4thタイプのジャングルファティーグジャケットにマジック2色で迷彩を描いたものです。もちろん背中側にも迷彩が施されています。また、コントラクトNoはDSA100-68-C-2484の1968年ロットで、生産メーカーはALLEN OVERALL. CO., INC.です。
第1騎兵師団のヘリクルーのようです。第1騎兵師団SSIとベーシックの降下章とベーシックのエアクルー章とU.S. ARMYテープが縫い付けられています。SSIははじめ、パッチ類は全て全てローカルメイドです。なお、このTCUジャケットは袖の付け根と背中側上部の裁断がシングルで、肩部分と脇下と袖の裁断はダブルになっています。
以下の記事も参考にどうぞ。
米軍NAG(海軍軍事顧問群)ジャングルファティーグジャケット
米軍手描き迷彩のジャングルファティーグ その2

2009年04月12日
米軍GIベルトのバックル(部隊章など彫り込み) その2
こんにちは。ビッキー池田です。今回は米陸軍のいわゆるGIベルトのBOX型バックルで部隊章などが掘り込まれた物を3点紹介します。そのうち1点は自分のコレクションではなく、ある方から画像を頂いたものです。

まず、PRU(Provincial Reconnaissance Unit、地方偵察隊というカバーネームの特殊部隊)の部隊章が彫り込まれたものです。制式な部隊章ではなく、非公式のタイプかと思います。

こちらは米軍関係ではありませんが、アメリカの有名な傭兵向け雑誌「Soldier Of Fortune」の付録だったというバックルです。これは色が金ではなく銀で、マークは掘り込みではりません。バックルの上から溶接している感じでしょうか。ちなみに、「Soldier Of Fortune」というPCゲームがありますが、これは「Soldier Of Fortune」誌が製作をサポートした作品で、そのゲームの主人公は同誌の編集長(元傭兵)がモデルだそうです。

最後に南ベトナム陸軍レンジャー部隊(Biệt Ðộng Quân:BDQ)の部隊章が彫り込まれたバックルです。こちらのバックルのみ自分のコレクションではなく、ある方から写真を頂きました。ブログの更新にとても役立ちましたので、感謝しております。
以下の記事もご参考にどうぞ。
米軍GIベルトのバックル(部隊章など彫り込み) その1
まず、PRU(Provincial Reconnaissance Unit、地方偵察隊というカバーネームの特殊部隊)の部隊章が彫り込まれたものです。制式な部隊章ではなく、非公式のタイプかと思います。
こちらは米軍関係ではありませんが、アメリカの有名な傭兵向け雑誌「Soldier Of Fortune」の付録だったというバックルです。これは色が金ではなく銀で、マークは掘り込みではりません。バックルの上から溶接している感じでしょうか。ちなみに、「Soldier Of Fortune」というPCゲームがありますが、これは「Soldier Of Fortune」誌が製作をサポートした作品で、そのゲームの主人公は同誌の編集長(元傭兵)がモデルだそうです。

最後に南ベトナム陸軍レンジャー部隊(Biệt Ðộng Quân:BDQ)の部隊章が彫り込まれたバックルです。こちらのバックルのみ自分のコレクションではなく、ある方から写真を頂きました。ブログの更新にとても役立ちましたので、感謝しております。
以下の記事もご参考にどうぞ。
米軍GIベルトのバックル(部隊章など彫り込み) その1

2009年04月10日
米軍レインウェア(ローカルメイド、民生品等)その2
こんにちは。ビッキー池田です。今回はローカルメイドのレインジャケットを紹介します。ベトナム戦争頃のものです。
東南アジアは雨が降ることも多く、レインウェアは重要な装備です。よって、第二次世界大戦でもベトナム戦争でもポンチョが支給されたのですが、それ以外にナム戦では将兵が個人的に入手したレインウェアを使う場合がありました。

少々分かりにくいですが、この兵士は私物と思われるレインジャケット(もしくはレインパーカー)を着用しています。ちなみに彼の所属は第4歩兵師団で、1968年12月に撮影された写真です。

こちらの三等軍曹は内側がリーフパターンのローカルメイドのレインジャケットを着用しています。フルパッチ化しているのが興味深いです。内側にポンチョライナーの生地を使ったローカルメイドのレインウェアが存在するので、これもそうかもしれません。恥ずかしながら、知識と資料が足りないので細かくは分かりませんが、徽章からすると彼はレンジャー部隊の所属のようです。
さて、今回紹介するものは外側に官給品の衣類用防水バッグの生地を使い、内側には民生品かローカルメイドと思われるダックハンターパターンのレインウェアの生地を使っています。名前とUS ARMYの刺繍が入っています。



先日紹介したものとは違い、内側の面にもポケットと肩エポレットが有り、リバーシブルでの使用も一応考えられています。とはいえ、内側の面ではフロントジッパーの開閉が難しいのですが。フロントジッパーはCONDOR製です。また、内側の肩エポレットは外側のものと違い、ボタン止めではなく完全に固定されています。

左袖にはポケットがついていますが、内側の面にはついていません。このポケットに使われているジッパーはYCK製です。


胸ポケットはどれもマチのないもので、フラップにはボタンがついていません。

襟の近くには3つボタンがついてます。本来はフードが付属し、それを着脱するためのものだったのではと考えられます。このボタンがついているのは外側だけです。

背中側の右下にスタンプが残っていました。官給品の衣類用防水バッグの生地を使っていることがわかります。そして、材料になったバッグのコントラクトNoがDSA100-69-C-2109ですので、69年以降に生産されたことがわかります。
以下の記事もご参考にどうぞ。
米軍レインウェア(ローカルメイド、民生品等)その1
米軍レインウェア(ローカルメイド、民生品等) その3
東南アジアは雨が降ることも多く、レインウェアは重要な装備です。よって、第二次世界大戦でもベトナム戦争でもポンチョが支給されたのですが、それ以外にナム戦では将兵が個人的に入手したレインウェアを使う場合がありました。

少々分かりにくいですが、この兵士は私物と思われるレインジャケット(もしくはレインパーカー)を着用しています。ちなみに彼の所属は第4歩兵師団で、1968年12月に撮影された写真です。

こちらの三等軍曹は内側がリーフパターンのローカルメイドのレインジャケットを着用しています。フルパッチ化しているのが興味深いです。内側にポンチョライナーの生地を使ったローカルメイドのレインウェアが存在するので、これもそうかもしれません。恥ずかしながら、知識と資料が足りないので細かくは分かりませんが、徽章からすると彼はレンジャー部隊の所属のようです。
さて、今回紹介するものは外側に官給品の衣類用防水バッグの生地を使い、内側には民生品かローカルメイドと思われるダックハンターパターンのレインウェアの生地を使っています。名前とUS ARMYの刺繍が入っています。
先日紹介したものとは違い、内側の面にもポケットと肩エポレットが有り、リバーシブルでの使用も一応考えられています。とはいえ、内側の面ではフロントジッパーの開閉が難しいのですが。フロントジッパーはCONDOR製です。また、内側の肩エポレットは外側のものと違い、ボタン止めではなく完全に固定されています。
左袖にはポケットがついていますが、内側の面にはついていません。このポケットに使われているジッパーはYCK製です。
胸ポケットはどれもマチのないもので、フラップにはボタンがついていません。
襟の近くには3つボタンがついてます。本来はフードが付属し、それを着脱するためのものだったのではと考えられます。このボタンがついているのは外側だけです。
背中側の右下にスタンプが残っていました。官給品の衣類用防水バッグの生地を使っていることがわかります。そして、材料になったバッグのコントラクトNoがDSA100-69-C-2109ですので、69年以降に生産されたことがわかります。
以下の記事もご参考にどうぞ。
米軍レインウェア(ローカルメイド、民生品等)その1
米軍レインウェア(ローカルメイド、民生品等) その3

2009年04月10日
米軍レインウェア(ローカルメイド、民生品等) その1
こんにちは。ビッキー池田です。今回はフィールドメイド(もしくはローカルメイド)のレインジャケットを紹介します。


フロッグスキンパターン(第二次世界大戦時のダックハンターパターン)のポンチョ生地で作られたものです。ボタンがむき出しですが、全体の形状、ポケットの形状などが陸軍のいわゆるアイクジャケットや海兵隊の短ジャケット型制服に似ています。裾の作りは陸軍のM42ユーティリティシャツに、袖の作りは陸軍のウールフランネルシャツの初期型に近いでしょうか。
ラベルやスタンプはないので年代は不明ですが、WWII時にはフロッグスキンパターンのポンチョ生地で作られたM1910エントレンチングツール(いわゆるTボーン)のカバーがフィールドメイド品で存在し、40年代にはM43フィールドジャケットやM43ユーティリティシャツをアイクジャケット型に改造したものが作られたようなので、第二次世界大戦時(当然フロッグスキンパターンのポンチョ採用後)からアイクジャケットや短ジャケット型制服が制服として使われた50年代末までの間に生産されたものだと推測されます。ベトナム戦争でもフロッグスキンパターンのポンチョは使用されているので、もしかすると60年代に作られたものかもしれません。

ポケットと裾と袖のボタンは同型で、碇のマークが入っています。WWII装備はまだまだ勉強中なのでこのボタンが当時の官給品の服に使われていたかは知りませんが、このボタンからして海兵隊もしくは海軍で使われたものだと推測できます。

このように袖は陸軍のウールフランネルシャツの初期型や海兵隊のサービスシャツなどと似た作りになっています。

裾の2個のボタン以外に4個のボタンでジャケットの前側は開閉します。陸軍のHBT製ユーティリティシャツなどに使われているボタンと似たボタンです。

なお、フロッグスキンパターンのポンチョ生地を使っているので、生地はリバーシブルですが、リバーシブルでの使用はあまり考えられていないようです。内側にはポケットやボタンがまったくついていません。
それにしてもこのレインジャケットの機能性はかなり微妙ではないでしょうか。まず上記したように(ワンピースタイプのフロッグスキンパターンの戦闘服や陸軍のフロッグスキンパターンの戦闘服もですが)リバーシブルでの使用があまり考えられていません。レインウェアとして使うことを考えると、この形状では裾が短くて下半身が塗れてしまいます。戦闘服として仕立てられたとも考えられますが、ポンチョ生地なので着心地が悪いですし、普通の戦闘服より蒸れます。レインウェアとして作られたのか、戦闘服として作られたのか、どちらかはわかりませんが、いずれにしても機能性よりもデザインを重視して作られたものなのは間違いなさそうです。
以下の記事も参考にどうぞ。
米軍レインウェア(ローカルメイド、民生品等) その2
米軍レインウェア(ローカルメイド、民生品等) その3
フロッグスキンパターン(第二次世界大戦時のダックハンターパターン)のポンチョ生地で作られたものです。ボタンがむき出しですが、全体の形状、ポケットの形状などが陸軍のいわゆるアイクジャケットや海兵隊の短ジャケット型制服に似ています。裾の作りは陸軍のM42ユーティリティシャツに、袖の作りは陸軍のウールフランネルシャツの初期型に近いでしょうか。
ラベルやスタンプはないので年代は不明ですが、WWII時にはフロッグスキンパターンのポンチョ生地で作られたM1910エントレンチングツール(いわゆるTボーン)のカバーがフィールドメイド品で存在し、40年代にはM43フィールドジャケットやM43ユーティリティシャツをアイクジャケット型に改造したものが作られたようなので、第二次世界大戦時(当然フロッグスキンパターンのポンチョ採用後)からアイクジャケットや短ジャケット型制服が制服として使われた50年代末までの間に生産されたものだと推測されます。ベトナム戦争でもフロッグスキンパターンのポンチョは使用されているので、もしかすると60年代に作られたものかもしれません。
ポケットと裾と袖のボタンは同型で、碇のマークが入っています。WWII装備はまだまだ勉強中なのでこのボタンが当時の官給品の服に使われていたかは知りませんが、このボタンからして海兵隊もしくは海軍で使われたものだと推測できます。
このように袖は陸軍のウールフランネルシャツの初期型や海兵隊のサービスシャツなどと似た作りになっています。
裾の2個のボタン以外に4個のボタンでジャケットの前側は開閉します。陸軍のHBT製ユーティリティシャツなどに使われているボタンと似たボタンです。
なお、フロッグスキンパターンのポンチョ生地を使っているので、生地はリバーシブルですが、リバーシブルでの使用はあまり考えられていないようです。内側にはポケットやボタンがまったくついていません。
それにしてもこのレインジャケットの機能性はかなり微妙ではないでしょうか。まず上記したように(ワンピースタイプのフロッグスキンパターンの戦闘服や陸軍のフロッグスキンパターンの戦闘服もですが)リバーシブルでの使用があまり考えられていません。レインウェアとして使うことを考えると、この形状では裾が短くて下半身が塗れてしまいます。戦闘服として仕立てられたとも考えられますが、ポンチョ生地なので着心地が悪いですし、普通の戦闘服より蒸れます。レインウェアとして作られたのか、戦闘服として作られたのか、どちらかはわかりませんが、いずれにしても機能性よりもデザインを重視して作られたものなのは間違いなさそうです。
以下の記事も参考にどうぞ。
米軍レインウェア(ローカルメイド、民生品等) その2
米軍レインウェア(ローカルメイド、民生品等) その3
