2010年01月25日
米軍M1C空挺ヘルメット(第二次世界大戦型)
こんばんは。ビッキー池田です。今回は第2次世界大戦時のM1C空挺ヘルメットを紹介します。
第二次世界大戦時の米軍空挺部隊には独特の装備が多いですが、その中でも最も代表的なものはM1Cヘルメットではないでしょうか。ジャンプブーツやM42ジャンプジャケットはM43コンバットブーツやM43フィールドジャケットに取って代わられますが、M1CヘルメットはWWIIを通して使われ、朝鮮戦争やベトナム戦争初期にも使われます。そして、戦後の改良型はフリッツヘルメット(PASGTヘルメット)採用まで使われ続けました。
1941年から米陸軍の空挺部隊用に専用の降下ヘルメットとしてM1Cヘルメットが生産され始めました。ノルマンディにおけるオーバーロード作戦、オランダにおけるマーケット・ガーデン作戦などヨーロッパ戦線の第82空挺師団や第101空挺師団での使用がやはり有名でしょうか。


太平洋戦線で戦い、戦後日本に駐留した第11空挺師団でもやはり使用されました。

そして、上記のように1964年にP64空挺ヘルメットライナーが採用されるまでは使用が続き、朝鮮戦争やベトナム戦争でも使用されました。


なお、米軍以外ではインドシナ戦争におけるフランス軍での使用が確認できます。未確認ですが、南ベトナム軍でも使用されたのではないでしょうか。
戦後の改良型を除いてもM1Cヘルメットのバリエーションはかなりの数があります。知識不足ですし、自分のコレクションのM1Cヘルメットも1つだけなので、基本的なバリエーションだけをあげておきます。まず、ヘルメットのシェル部分のチンストラップ取り付け部分のループのバリエーションがD型で固定式の初期型、普通のM1ヘルメットと同型の固定式の中期型 、可動式の後期型の3種類がありました。
そして、ヘルメットのライナー部分はファイバー(紙)製ライナーの初期型とプラスチック製ライナーのものがあり、プラスチックライナーにはAストラップ(チンカップを取り付ける部分のストラップ)のバックルが小型の中期型と大型の後期型があります。
また、前線で普通のM1ヘルメットのライナーを改造して作ったリガーメイドのM1Cヘルメットのライナーも存在します。リガーメイドのものはライナーのリベットが17個ありますが、官給品のライナーではリベットは13個です。
さて、ここで1個しかない自分のコレクションのM1Cヘルメットを紹介します。本当は基本的なバリエーションをひととおり集めてからM1Cの記事を書きたかったのですが、M1Cは大変希少な上に高価なため1つだけの状態で更新することにしました。



近年のリペイントと思われますが、第82空挺師団隷下の第505パラシュート歩兵連隊のマーキング入りです。


ライナーはプラスチック製で、リベットが13個の官給品タイプです。また、使用者の名前と思われるマーキングがあり、このマーキングは当時のものと思われます。

チンストラップ取り付け用のループは可動式(後期型)で、チンストラップはカーキです。

AストラップはODで、Aストラップのバックルは大型のタイプ(後期型)となっています。
第二次世界大戦時の米軍空挺部隊には独特の装備が多いですが、その中でも最も代表的なものはM1Cヘルメットではないでしょうか。ジャンプブーツやM42ジャンプジャケットはM43コンバットブーツやM43フィールドジャケットに取って代わられますが、M1CヘルメットはWWIIを通して使われ、朝鮮戦争やベトナム戦争初期にも使われます。そして、戦後の改良型はフリッツヘルメット(PASGTヘルメット)採用まで使われ続けました。
1941年から米陸軍の空挺部隊用に専用の降下ヘルメットとしてM1Cヘルメットが生産され始めました。ノルマンディにおけるオーバーロード作戦、オランダにおけるマーケット・ガーデン作戦などヨーロッパ戦線の第82空挺師団や第101空挺師団での使用がやはり有名でしょうか。


太平洋戦線で戦い、戦後日本に駐留した第11空挺師団でもやはり使用されました。
そして、上記のように1964年にP64空挺ヘルメットライナーが採用されるまでは使用が続き、朝鮮戦争やベトナム戦争でも使用されました。

なお、米軍以外ではインドシナ戦争におけるフランス軍での使用が確認できます。未確認ですが、南ベトナム軍でも使用されたのではないでしょうか。
戦後の改良型を除いてもM1Cヘルメットのバリエーションはかなりの数があります。知識不足ですし、自分のコレクションのM1Cヘルメットも1つだけなので、基本的なバリエーションだけをあげておきます。まず、ヘルメットのシェル部分のチンストラップ取り付け部分のループのバリエーションがD型で固定式の初期型、普通のM1ヘルメットと同型の固定式の中期型 、可動式の後期型の3種類がありました。
そして、ヘルメットのライナー部分はファイバー(紙)製ライナーの初期型とプラスチック製ライナーのものがあり、プラスチックライナーにはAストラップ(チンカップを取り付ける部分のストラップ)のバックルが小型の中期型と大型の後期型があります。
また、前線で普通のM1ヘルメットのライナーを改造して作ったリガーメイドのM1Cヘルメットのライナーも存在します。リガーメイドのものはライナーのリベットが17個ありますが、官給品のライナーではリベットは13個です。
さて、ここで1個しかない自分のコレクションのM1Cヘルメットを紹介します。本当は基本的なバリエーションをひととおり集めてからM1Cの記事を書きたかったのですが、M1Cは大変希少な上に高価なため1つだけの状態で更新することにしました。
近年のリペイントと思われますが、第82空挺師団隷下の第505パラシュート歩兵連隊のマーキング入りです。
ライナーはプラスチック製で、リベットが13個の官給品タイプです。また、使用者の名前と思われるマーキングがあり、このマーキングは当時のものと思われます。
チンストラップ取り付け用のループは可動式(後期型)で、チンストラップはカーキです。
AストラップはODで、Aストラップのバックルは大型のタイプ(後期型)となっています。

2010年01月17日
米軍ライトウェイトジャケット&トラウザーズ
こんにちは。ビッキー池田です。今回は第二次世界大戦末期に米陸軍が太平洋戦線向けに採用した熱帯用戦闘服であるライトウェイトジャケットとライトウェイトトラウザーズを紹介します。ただし、こちらの服はWWII時には実戦投入に間に合わず、その後少数がベトナム戦争で使われたようです。
困ったことにこのコットンポプリン生地製の戦闘服についてはほとんど資料がありません。1945年に採用されたもののそれほど生産数も実際に支給された数も多くなかったようです。1940年代には海軍でもコットンポプリン生地製の熱帯用戦闘服が採用されましたが、両者のつながりは分かりません。また、ベトナム戦争で少数が使われたようだと書きましたが、当時の写真では未確認で当時の徽章が付いたものを確認しただけです。自分が確認したベトナム戦争時の徽章付きのものはグリーンベレーのものだけです。
では、まずはジャケットの方の写真です。


ポケットのボタンはむき出しではありませんが、前合わせのボタンがむき出しになっています。ボタンがむき出しというのはT53-1やT54-4といった1950年代の熱帯戦闘服の試作品や1stタイプのジャングルファティーグと共通した特徴です。残念ながら、前合わせの下から2番目のボタンが外れています。
ライトウェイトジャケットにはバリエーションが存在したようです。



襟と袖に金属ボタンが付いています。襟のボタンは襟を固定するため、袖のボタンは袖口をしっかりと閉じるためのもののようです。ただし、このボタンの取り付けは個人の改造の可能性も否定できません。なお、袖には1940年代のものと思われる二等軍曹の階級章が縫い付けられており、当時使用されていたことが推測できます。
続いて、ライトウェイトトラウザーズの写真です。



前あわせが6つボタンのボタンフライで、ジャケットと同型のボタンが使用されています。

トラウザーズのスタンプの写真です。「TROUSERS LIGHTWEIGHT」の表記が読み取れます。ジャケットの方はスタンプが薄くなっていてほとんど読み取れなかったので写真を撮りませんでした。
最後にライトウェイトジャケットのテストサンプル品を紹介します。



制式採用品には無い肩エポレットが有ります。サイズ表記も制式採用品ではS、M、L(XSやXLは無いと思います)という表記でしたが、この試作品ではインチ表記になっています。なお、このジャケットにはネームテープ、ARMY章、将校用階級章、兵科章の跡があるので、戦後再利用されたもののようです。

判読できませんが、試作タイプではラベルに名称などが書かれていたようです。制式採用タイプではスタンプで名称などが表記されていて、ラベルは付いていませんでした。

袖の裁断とボタン数にも違いがあります。試作品(写真左)では袖ボタンは2つですが、制式採用品では袖ボタンが1つです。

細かいですが、ポケットの比較です。テストサンプル(写真左)の方がポケット本体とポケットフラップの距離が離れており、ポケット本体とポケットフラップが接続されています。
こちらの記事も参考にどうぞ。
米軍T53-1テストサンプルライトウェイトジャケット
米軍T54-4テストサンプルブッシュジャケット
困ったことにこのコットンポプリン生地製の戦闘服についてはほとんど資料がありません。1945年に採用されたもののそれほど生産数も実際に支給された数も多くなかったようです。1940年代には海軍でもコットンポプリン生地製の熱帯用戦闘服が採用されましたが、両者のつながりは分かりません。また、ベトナム戦争で少数が使われたようだと書きましたが、当時の写真では未確認で当時の徽章が付いたものを確認しただけです。自分が確認したベトナム戦争時の徽章付きのものはグリーンベレーのものだけです。
では、まずはジャケットの方の写真です。
ポケットのボタンはむき出しではありませんが、前合わせのボタンがむき出しになっています。ボタンがむき出しというのはT53-1やT54-4といった1950年代の熱帯戦闘服の試作品や1stタイプのジャングルファティーグと共通した特徴です。残念ながら、前合わせの下から2番目のボタンが外れています。
ライトウェイトジャケットにはバリエーションが存在したようです。
襟と袖に金属ボタンが付いています。襟のボタンは襟を固定するため、袖のボタンは袖口をしっかりと閉じるためのもののようです。ただし、このボタンの取り付けは個人の改造の可能性も否定できません。なお、袖には1940年代のものと思われる二等軍曹の階級章が縫い付けられており、当時使用されていたことが推測できます。
続いて、ライトウェイトトラウザーズの写真です。
前あわせが6つボタンのボタンフライで、ジャケットと同型のボタンが使用されています。

トラウザーズのスタンプの写真です。「TROUSERS LIGHTWEIGHT」の表記が読み取れます。ジャケットの方はスタンプが薄くなっていてほとんど読み取れなかったので写真を撮りませんでした。
最後にライトウェイトジャケットのテストサンプル品を紹介します。
制式採用品には無い肩エポレットが有ります。サイズ表記も制式採用品ではS、M、L(XSやXLは無いと思います)という表記でしたが、この試作品ではインチ表記になっています。なお、このジャケットにはネームテープ、ARMY章、将校用階級章、兵科章の跡があるので、戦後再利用されたもののようです。
判読できませんが、試作タイプではラベルに名称などが書かれていたようです。制式採用タイプではスタンプで名称などが表記されていて、ラベルは付いていませんでした。
袖の裁断とボタン数にも違いがあります。試作品(写真左)では袖ボタンは2つですが、制式採用品では袖ボタンが1つです。
細かいですが、ポケットの比較です。テストサンプル(写真左)の方がポケット本体とポケットフラップの距離が離れており、ポケット本体とポケットフラップが接続されています。
こちらの記事も参考にどうぞ。
米軍T53-1テストサンプルライトウェイトジャケット
米軍T54-4テストサンプルブッシュジャケット

2010年01月09日
米軍ウッドランドパターンM65フィールドジャケット
こんばんは。ビッキー池田です。今回はウッドランド迷彩のM65フィールドジャケット(COAT, COLD WEATHER: FIELD, CAMOUFLAGE PATTERN)のバリエーションを紹介しようと思います。

1981年(1980年?)にBDU(Battle Dress Uniform)の迷彩としてウッドランドパターンが採用されると、それにあわせてM65フィールドジャケットもそれまでのOD色(OG-107)以外に、ウッドランドパターンのものが採用されました。ただし、BDUと同時に採用されたのか、BDU採用から少し期間が空いてから採用されたのかは分かりません。一方で1989年頃まではODのものの生産も続くことになります。
ODのM65フィールドジャケットにはアルミジッパーのモデル(2ndタイプ、初期型)がありましたが、ウッドランドのモデルにはありません。よって、ウッドランドのM-65フィールドジャケットにおける1stタイプもしくは初期型はブラスジッパー(真鍮ジッパー)のモデルということになります。


フロントジッパーと襟のジッパーが共にブラスジッパーのモデルは1986年頃までは生産されていたようです。なお、こちらのM65のコントラクトナンバーはDLA100-84-C-0721となっており、フロントジッパーと襟のジッパーは共にGENERAL製となっています。
そして、ODのM-65と同様にプラスチックジッパーを使用したモデルがウッドランドのM-65でも登場するのですが、やはりODのM-65と同様にフロントジッパーはブラス製で、襟のジッパーはプラスチック製という過渡期のモデルが存在しました。この過渡期のモデルは1988年頃まで生産されていたようです。



こちらのM-65フィールドジャケットには第98歩兵師団SSIと准尉(W3)階級章、コットン製ネームテープ、コットン製ARMY章が縫い付けられています。また、こちらのM-65のコントラクトナンバーはDLA100-82-C-0689で、フロントジッパーはSCOVILL製、襟のジッパーはYKK製です。
最後に1985年頃からフロントジッパーも襟のジッパーもプラジッパーのモデルが登場しました。これがウッドランド迷彩のM-65における2ndタイプもしくは後期型ということになります。


このM-65のコントラクトNoはSPO100-96-D-0320で、ジッパーはフロントも襟もYKK製です。


なお、このM-65フィールドジャケットには第101空挺師団SSI、第19航空支援作戦中隊(19th Air Support Operations Squadron)部隊章、航空戦闘軍団(Air Combat Command)部隊章、一等空兵階級章、コットン製のAIR FORCE章とネームテープが縫いつけられています。空軍なのに第101空挺師団の部隊章が縫い付けられていますが、第19航空支援作戦中隊の任務が気象観測などによる第101空挺師団と第5特殊部隊群の作戦支援であることと関係があるはずです。このM-65の着用者は作戦支援のために第101空挺師団に派遣されていたのではないでしょうか。
1996年頃に官給品のウッドランドのM-65フィールドジャケットの生産は終了したようです。そして、ウッドランドのゴアテックスパーカー(ECWCSパーカー)に役目を取って代わられました。しかし、3CデザートパターンのM-65フィールドジャケットは1999年まで生産されましたし、その後もACU(Army Combat Uniform)パターンのM-65フィールドジャケットが登場します。現在もACUのM-65が生産されているかは知識不足で分かりませんが、2008年コントラクトのモデルは確認しました。
以下の記事も参考にどうぞ。
ダックハンターパターンのM65フィールドジャケット その1
ダックハンターパターンのM65フィールドジャケット その2
米軍ウッドランドBDUジャケットのバリエーション
また、以下のアカトラ氏が書いた記事でM65を購入する際チェックすべきポイントが紹介されており、大変参考になります。
M65(WL)のバリエーション
1981年(1980年?)にBDU(Battle Dress Uniform)の迷彩としてウッドランドパターンが採用されると、それにあわせてM65フィールドジャケットもそれまでのOD色(OG-107)以外に、ウッドランドパターンのものが採用されました。ただし、BDUと同時に採用されたのか、BDU採用から少し期間が空いてから採用されたのかは分かりません。一方で1989年頃まではODのものの生産も続くことになります。
ODのM65フィールドジャケットにはアルミジッパーのモデル(2ndタイプ、初期型)がありましたが、ウッドランドのモデルにはありません。よって、ウッドランドのM-65フィールドジャケットにおける1stタイプもしくは初期型はブラスジッパー(真鍮ジッパー)のモデルということになります。
フロントジッパーと襟のジッパーが共にブラスジッパーのモデルは1986年頃までは生産されていたようです。なお、こちらのM65のコントラクトナンバーはDLA100-84-C-0721となっており、フロントジッパーと襟のジッパーは共にGENERAL製となっています。
そして、ODのM-65と同様にプラスチックジッパーを使用したモデルがウッドランドのM-65でも登場するのですが、やはりODのM-65と同様にフロントジッパーはブラス製で、襟のジッパーはプラスチック製という過渡期のモデルが存在しました。この過渡期のモデルは1988年頃まで生産されていたようです。
こちらのM-65フィールドジャケットには第98歩兵師団SSIと准尉(W3)階級章、コットン製ネームテープ、コットン製ARMY章が縫い付けられています。また、こちらのM-65のコントラクトナンバーはDLA100-82-C-0689で、フロントジッパーはSCOVILL製、襟のジッパーはYKK製です。
最後に1985年頃からフロントジッパーも襟のジッパーもプラジッパーのモデルが登場しました。これがウッドランド迷彩のM-65における2ndタイプもしくは後期型ということになります。
このM-65のコントラクトNoはSPO100-96-D-0320で、ジッパーはフロントも襟もYKK製です。
なお、このM-65フィールドジャケットには第101空挺師団SSI、第19航空支援作戦中隊(19th Air Support Operations Squadron)部隊章、航空戦闘軍団(Air Combat Command)部隊章、一等空兵階級章、コットン製のAIR FORCE章とネームテープが縫いつけられています。空軍なのに第101空挺師団の部隊章が縫い付けられていますが、第19航空支援作戦中隊の任務が気象観測などによる第101空挺師団と第5特殊部隊群の作戦支援であることと関係があるはずです。このM-65の着用者は作戦支援のために第101空挺師団に派遣されていたのではないでしょうか。
1996年頃に官給品のウッドランドのM-65フィールドジャケットの生産は終了したようです。そして、ウッドランドのゴアテックスパーカー(ECWCSパーカー)に役目を取って代わられました。しかし、3CデザートパターンのM-65フィールドジャケットは1999年まで生産されましたし、その後もACU(Army Combat Uniform)パターンのM-65フィールドジャケットが登場します。現在もACUのM-65が生産されているかは知識不足で分かりませんが、2008年コントラクトのモデルは確認しました。
以下の記事も参考にどうぞ。
ダックハンターパターンのM65フィールドジャケット その1
ダックハンターパターンのM65フィールドジャケット その2
米軍ウッドランドBDUジャケットのバリエーション
また、以下のアカトラ氏が書いた記事でM65を購入する際チェックすべきポイントが紹介されており、大変参考になります。
M65(WL)のバリエーション

2010年01月01日
ドレスシャツ型のダックハンター迷彩ジャケット
あけましておめでとうございます。ビッキー池田です。今年もよろしくお願い致します。さて、2010年最初の更新となりますが、今回はダックハンターパターンのドレスシャツ型シャツについての更新です。
ダックハンターパターンの迷彩生地を使った民生品の衣類には様々なスタイルのものがありましたが、米軍のドレスシャツ(制服用のシャツ)やチノシャツのようなスタイルのものもありました。ドレスシャツ型のダックハンターパターンのシャツのベトナム戦争での使用は当時の写真で確認したことはありませんが、可能性としては使用されていてもおかしくありません。米軍将兵はユーティリティシャツなど胸ポケットが2つある服に慣れていましたが、民生品のダックハンターパターンのジャケットは胸ポケットが2つないものが多かったためです。なお、当時の写真では未確認と書きましたが、元軍事顧問の放出品でダックハンターパターンのドレスシャツに南ベトナム陸軍第3連隊第4大隊(ARVN第1歩兵師団隷下のようです)のポケットハンガーパッチを取り付けたものがあるので、やはり使われていたのだと思います。
まずは有名なKAMO社製のものから紹介します。



KAMO社のダックハンター迷彩のジャケットといえば、裾ポケット2つと胸ポケット1つがあるものが一般的で、ベトナム戦争でもそのタイプが使用されました。裾ポケット2つと胸ポケット1つのタイプはかなりの数が作られたようです。しかし、ドレスシャツ型のものはかなり希少なのではないでしょうか。

使われているボタンが小型で他のKAMO社のダックハンター迷彩の衣類で使用されていないと思われるタイプです。また、ドレスシャツ型ということで袖にもボタンがあります。このドレスシャツ型とあわせるためのトラウザーズがKAMO社製で存在するかは不明です。
次は10Xというメーカー(ブランド?)のものを紹介します。肩エポレット付きでもともと半袖で作られているようなので、大変興味深い仕様なのですが、残念なことに上から2番目のボタンと1番下のボタンが欠品しています。



首のところのラベルの文字が残念ながらほとんど判読できません。写真では見えないと思いますが、うっすらとSMALL-REGULARとサイズが書かれているのはかろうじて分かります。おそらく他に生産国などが書かれていたと思うので残念です。

やはりボタンは小型のものが使われています。また、生地の迷彩パターン的にはKAMO社のダックハンター迷彩のコピーです。しかし、彩色がKAMO社のものの5色に対して、茶色を多く使った4色になっています。

メーカー名を強調したいのか、首のところ以外に服の側面部分にもメーカーラベルが付いている上に、迷彩と一緒に服のあちこちに10Xとプリントされています。
最後にメーカー不明のものを紹介します。




迷彩パターン的にはほぼKAMO社のコピーですが、矢印の部分の柄が省略されています。このようにKAMO社のダックハンター迷彩を真似たダックハンター迷彩では2つの柄が重なる部分の柄が省略されることが多いです。また、彩色もKAMO社のダックハンター迷彩の5色に対して、このジャケットの迷彩では4色となっています。
以下の記事も参考にどうぞ。
ダックハンターの迷彩パターン考察
ダックハンタージャケット使用のスーベニアジャケット
ダックハンターパターンのM65フィールドジャケット その1
ダックハンターパターンのツナギ その1
韓国軍海兵隊のダックハンター迷彩ジャケット
ダックハンター迷彩の帽子(ローカルメイド、民生品等) その1
ダックハンターパターンの迷彩生地を使った民生品の衣類には様々なスタイルのものがありましたが、米軍のドレスシャツ(制服用のシャツ)やチノシャツのようなスタイルのものもありました。ドレスシャツ型のダックハンターパターンのシャツのベトナム戦争での使用は当時の写真で確認したことはありませんが、可能性としては使用されていてもおかしくありません。米軍将兵はユーティリティシャツなど胸ポケットが2つある服に慣れていましたが、民生品のダックハンターパターンのジャケットは胸ポケットが2つないものが多かったためです。なお、当時の写真では未確認と書きましたが、元軍事顧問の放出品でダックハンターパターンのドレスシャツに南ベトナム陸軍第3連隊第4大隊(ARVN第1歩兵師団隷下のようです)のポケットハンガーパッチを取り付けたものがあるので、やはり使われていたのだと思います。
まずは有名なKAMO社製のものから紹介します。
KAMO社のダックハンター迷彩のジャケットといえば、裾ポケット2つと胸ポケット1つがあるものが一般的で、ベトナム戦争でもそのタイプが使用されました。裾ポケット2つと胸ポケット1つのタイプはかなりの数が作られたようです。しかし、ドレスシャツ型のものはかなり希少なのではないでしょうか。
使われているボタンが小型で他のKAMO社のダックハンター迷彩の衣類で使用されていないと思われるタイプです。また、ドレスシャツ型ということで袖にもボタンがあります。このドレスシャツ型とあわせるためのトラウザーズがKAMO社製で存在するかは不明です。
次は10Xというメーカー(ブランド?)のものを紹介します。肩エポレット付きでもともと半袖で作られているようなので、大変興味深い仕様なのですが、残念なことに上から2番目のボタンと1番下のボタンが欠品しています。
首のところのラベルの文字が残念ながらほとんど判読できません。写真では見えないと思いますが、うっすらとSMALL-REGULARとサイズが書かれているのはかろうじて分かります。おそらく他に生産国などが書かれていたと思うので残念です。
やはりボタンは小型のものが使われています。また、生地の迷彩パターン的にはKAMO社のダックハンター迷彩のコピーです。しかし、彩色がKAMO社のものの5色に対して、茶色を多く使った4色になっています。
メーカー名を強調したいのか、首のところ以外に服の側面部分にもメーカーラベルが付いている上に、迷彩と一緒に服のあちこちに10Xとプリントされています。
最後にメーカー不明のものを紹介します。


迷彩パターン的にはほぼKAMO社のコピーですが、矢印の部分の柄が省略されています。このようにKAMO社のダックハンター迷彩を真似たダックハンター迷彩では2つの柄が重なる部分の柄が省略されることが多いです。また、彩色もKAMO社のダックハンター迷彩の5色に対して、このジャケットの迷彩では4色となっています。
以下の記事も参考にどうぞ。
ダックハンターの迷彩パターン考察
ダックハンタージャケット使用のスーベニアジャケット
ダックハンターパターンのM65フィールドジャケット その1
ダックハンターパターンのツナギ その1
韓国軍海兵隊のダックハンター迷彩ジャケット
ダックハンター迷彩の帽子(ローカルメイド、民生品等) その1
